恋の終わりはいつもいつも 立ち去る者だけが美しい

思っても仕様のないことをいつも思う。

※ここから先は不愉快になるかもなので読み進めるのは自己責任でお願いします!




今日また嵐から別のグループに重きを置くことを決めた人のブログを読んだ。相葉君のファンだった人のブログだ。こんなときいつも私の頭の中は中島みゆきのわかれうたがリフレインする。残されて戸惑う相葉君がもし本当にどこかにいたらどうしようと思う。「残された」なんて相葉君が可哀そうみたいでいやなのにどうしても思ってしまう。それでも思ってしまうのは可哀そうなのは相葉君じゃなく私だからだ。本当は私が置いていかれて寂しいだけだ。

私が嵐の相葉君を本格的に好きで我慢できなくなったのは2006年の終わりころで、どうしてもコンサートに行ってみたいと思うようになったのは2007年の夏で、実際にコンサートに行って生の相葉君を見たのは2008年6月18日水曜日のYahoo!JAPANドーム*1だった。彼らにとってそれは初めての5大ドームツアーだった。同じ年に国立競技場でコンサートをした。2回目のアジアツアーもした。翌年、10周年を迎えた彼らは最高潮に波に乗っていた。今だってそれは変わらない。嵐はまぎれもなく人気者で国民的だ。でも、私と同じ熱量、もしくはそれ以上の熱量を持って彼らを愛していた人たちがいなくなっていく。人の気持ちは誰にも左右できないし、その方たちの葛藤や感情や決断はまぎれもなく尊く大切にされなければならない。そんなことは百も承知だが、それでもさみしい。私もいつか彼女たちのように相葉君以外を追いかけたいと思う時が来るのだろうか。初めてのコンサートで嵐を嫌いになれるはずがないと決心した思いが揺らぐようなことがあるのだろうか。そんな途方もなくつまらなくどうしようもない事を思って、勝手に置き去りにされた寂しさを抱えきれず挙句それを相葉君にすり替えているのだ。とても愚かだ。そんなことを考えても仕方がないと分かっているので、とりあえず中島みゆきを聴く。わかれうたを聴いて気持ちを落ち着かせる。そして、まだ嵐が相葉君が好きな自分に安堵している。とても愚かだ。

担当という制度があることは知っているが、感覚は分からない。きっとそれは私が担降りをしたことがないからだと思っている。出来れば一生知りたくない。人に聞かれたら制度に従って「相葉君担当です。」と言うくらいのあいまいな心持ちでいたい。とても愚かだ。だからと言ってコンサートに必死に通うわけではないし、ツアーも一回行ければ御の字だなと思うのは、嵐のコンサートが日本一チケットがとりづらいらしいからでもあるが、嵐のコンサートに行きたいと思っている人が私以外にもたくさんいると分かるからかもしれない。目に見えて、感覚として私以外にも行きたくても行けない人がいることを知り安堵している。何度も言うが愚かだ。自覚している。

しかし私のこの愚かな感情を吹き飛ばすかのように、実際の相葉君が一人になることなど到底遠く、相葉君を観たいと思っている人は日本中にいて今日も幸運に恵まれた5万人の観客の前で私が好きなキラキラのアイドルスマイルをまき散らすのだ。この上なく素晴らしい。

こんな愚かな私でも今日のコンサートが無事に終わることを祈らざるを得ない。

*1:ヤフオクドーム