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あらし ラジオ アイドル 音楽 あらし ラジオ アイドル 音楽

嵐の人の誕生日の前後3日間は嵐の事ばかり考えて生きています。33歳のにーのちゃん大好き。当日は世界で一番二宮君のお肌みたいなお菓子マシュマロをたらふく食べました。

嵐の音楽のことを考えてる時にちょうどミッツさんのラジオ音源を聴いたのだけど、ミッツさんの冷静な分析にこそひれ伏しました。嵐はガチで担降りを考えるような信ぴょう性の高いスキャンダルも解散するような事件もなくいい意味でジャニーズ1ドラマ化されないグループだと思っているんだけどもみんなに揶揄されたり忘れられたりしながらもコツコツ勤勉に当たり前の事をやり続けて来た人達だと思います。そしてそういうアイドルがスターダムにのし上がっていく様は清々とした事だと改めて思いました。

これは相当デリケートな問題だけど嵐のファンの人がよく「嵐追いかけるの義務みたいになってきた・・・」と言うのを聞く。正直私自身もそういう感情にとらわれてしまった事がないわけじゃない。そう思う事が悪い事だと言っている訳ではなく、そういう義務感にとらわれてしまう原因に嵐の本質があるのではないかと思うのです。その義務感の原因は嵐の需要に見合った供給の肥大が大半だとは思います。しかも決して供給過多ではないところが厄介。しかしそれよりもそう思うには私達ファンにとって嵐はいつもそこにいてくれ過ぎるきらいがあるのではないかと思います。嵐は今その時出来る範囲でずっとそこにいてくれる安心感がすごい。故にファンになった頃の新鮮味を勝手になんとなく手放してなんだかぬるま湯の中でフワフワとしているうちにお金と時間を注ぎ込んでるのに違和感を覚えてしまう。でもそう思ってほんの少し距離をおいても嵐は嵐として私の知ってる場所にいてやっぱりそこに戻りたくなってしまう。いつ戻っても嵐は私の知ってる場所で私の知っている嵐として嵐を全うしてくれている。やーんめっちゃ優しい。嵐っつーか快晴やん。めっちゃ日光の暖かみ感じる。あのときはぬるま湯だと思った居心地の悪さを暖かみある優しさと捉えざるを得ない。この暖かみをどう捉えるかはファンに委ねられるけれどその本質は嵐が作ったものだ。嵐がもたらす暖かみは嵐の勤勉さと真面目さあっての賜物だ。これは刹那を生きるアイドルにとってウィークポイントなのかもしれない。しかしその普遍性こそが真のアイドルの姿だと思える。もちろん嵐もいつかいなくなってしまう可能性は孕んでいる。でもその事実とは別次元でその時にいつもそこにいてくれる事を証明する事ができるのがアイドルでそれが私にとって嵐なのだと思う。もちろん形を変えていくアイドルの姿も真のアイドルであり魅力的だという事は言うまでもない。

嵐の今の現状は荒波を乗り越えてたどり着いた境地というより、荒波に耐えながら自分たちが出来る範囲でコツコツ真面目にオールを漕いでいたらいつの間にか周りが小々波になり進むべき航海に渦潮が湧きモーセの十戒のように海が割れ5人が「イヤイヤイヤイヤ!さすがにないわ!信じないわ!」と言いつつおそるおそる船からおりもう沈没の心配はないのにそれでも着実に慎重に5人歩幅を合わせながら地に足をつけて進んで行っているイメージがある。今嵐が立っている場所がこんなにも清々としてみえるのは一度も当たり前に目の前の事をやり続ける事をやめなかった証だよ。すごいよ。嵐好きで良かったよ!これからもずっと好きだと言える今が嬉しいよ!